Reed先生とオフ会

土曜日にReed先生とオフ会してきました!

かれこれ飲み続けて5時間くらいですか…(笑)

くだらない話しから真面目な話まで色々しましたが、せっかくの機会だったのでメルマガに公開しておきます!

ミクロとマクロの視点

目の前で起きる問題ってたくさんありますよね。

先生と話しをしたのは認知症についてでした。

例えば、徘徊する高齢者は色々な問題がありますよね。

  • 所在がわからなくなって、どこかで事故に遭うのではないか。
  • 家族は徘徊の可能性があるから目を離すことができず介護で疲弊してしまう。
  • 信号が理解できず車に轢かれて、被害者と加害者を作ってしまう。

その問題を解決するために、他職種協働によるアセスメントがあったり、日々の行動から気持ちや考えを予測したり、病状を理解したり…ハード面においてはセンサーや見守りカメラなどが発展してきました。

しかし、アセスメントや病状の研究に終わりはなく、見守りカメラにおいてはプライバシーの問題があります。問題をミクロ…つまり目先の問題として捉えていると、この終わらない問題解決を繰り返すことになります。(悪いことではないですよ

私は仕事柄、色々な角度から相談を受けます。

その中で、本人の気持ち、家族の思い、職員の考え、会社の目的、制度の縛り…

そのどれかの思いが叶うと、どれかの思いは叶わない…そんなことの繰り返し。

そういう思考を巡らせていると、最終的にはミクロ視点の問題解決ではうまくいかなくなって、結果としてマクロ視点になっていくよね!って話です。

徘徊であれば、徘徊という行動が問題にならない社会になれば、大体のことはすべて解決じゃね?って感じです。

ただ、徘徊が社会的に問題にならないためには、徘徊する方を全員が理解して助け合える地域を作らなくてはいけないので…

ミクロ視点の問題解決よりずっと難しいテーマになってしまいます。笑

でも、一旦マクロ視点まで引き上げた視点から、ミクロ視点で一つ一つ課題解決していくことが必要なのではないか?

と熱く語ってきました。

本質に目を向けよう

これも徘徊の話しが例となって話しが進みました!

一部で、徘徊という表現は、不適切な表現であると主張するような流れがありますよね。

徘徊とは、辞書では「あてもなく歩き回ること。うろうろと歩き回ること。」と書かれています。

しかし、認知症で徘徊をする人は当てもなく歩き回っているわけではない!という事実(本人としては目的がある)から、徘徊という言い方をやめよう!という考え方があります。

これは利用者・家族が主張するのは良いと思います。が、専門職がそのポイントにこだわるのってどうなんだろうね?って話しで盛り上がりました。

そもそも問題行動とされているから我々は一定の行動を「徘徊」と言っています。その言い方や表現を変えたところで、その行動が起こす問題は何一つ解決していないですよね。

イメージだけを変えて問題が変わらないなら、プロとして言い方じゃ無い部分に向き合うべきなんじゃないでしょうかね?

この話しも結構盛り上がりました(笑)

熱い人たちと話すこと

改めて、深く思考を巡らせている方とお話しすると、普段自分でも言語化できていないことを言語化する機会になって良いです。

私たちは普段感じたことや考えたこと、疑問に思ったことをその瞬間から忘れていきます。

けど、サロンで言語化したり、誰かと繋がって話しをすることでそれを言語化する機会を得る。

言語化すると思考が整理され、人に伝えることができるようになります。

オフ会って、会って楽しく喋るイメージだったけど、普段思っていることを言い合える仲間みたいな感じで心地よかった!

いつかサロンでオフ会やりたい!